嫉妬してしまう心
彼は仕事でお世話になっている人で、私より一回り以上も年上だから頼りにしていたのもあります。
自分が彼に惹かれているのは分かっていましたが、でも、あくまで仕事上の関係だったし、面倒事になって自分が傷つくのも嫌だし、一生懸命、一線を越えないようにしていました。
それなのに、彼と体の関係を持ってしまったんです。
それからです。湧き上がってくる感情がだんだんと抑えきれなくなっていきました。私の嫉妬なんですよ。
彼はバツイチで高校生と大学生の男の子がいて、毎月、前の奥さんの家まで会いに行ってるんです。子どもたちだけでなく前の奥さんも一緒に、ご飯を食べに行ったりもしているそうです。
もう10年以上も前に離婚しているんですけどね。
彼と今の様になる前からそんな話は聞いていて、その時は「律儀で真面目な人だなぁ」なんて思っていたんですよ。
それなのに、彼のことを好きになっていけばいくほど、彼の子どもや前の奥さんに嫉妬していくようになりました。
私より前の奥さんのことがやっぱり大事なんだね!
どうせ私のことなんてただの遊びなんでしょ!
子ども達も大きいんだから、もう毎月会いに行かなくてもいいじゃない!
自分でもイヤなことを言う女だと思いますよ。でも、嫌味がどんどん口から出てきて止められないんです。
あと、破壊願望っていうんですかね。何もかも壊したくなる衝動に駆られてしまうんです。
泣いて喚いて叫んで、挙句の果てに、自分の体を傷つけてしまう。
いろんな話をして楽しく過ごせる関係のままだったら、こんな風になることはなかったんだと思います。
どこでどう間違えてしまったのか……こんなに自分で自分を抑えられなくなってしまうなんて思いもよらなかったし、でも、いざこうなってみて思うのは、ほんとうに辛いです。
自分が自分でなくなってしまいそうになるし、彼のことを愛したいのにその表現も分からない。
嫉妬なんて醜いだけだと分かっているのに、その気持ちが抑えられなくなっている自分がほんとうに嫌です。
先生、私、どうしたらいいんでしょう……
タロットで表現される「嫉妬」とは?
うらないば、には、このようなご相談は実際に多くあります。
「いつ結婚できますか?」「転職はうまくいきそうですか?」「彼とはどうなりますか?」といった、未来予報的に占いを使うのではなく、友達や近しい人には話しにくいことや、死生観に関わるような、自分の内面を深くえぐってしまうやり場のない感情を抱え、話をしに来られる方も多いです。
もちろん私は占い師ですから、どんな内容であれ、必ずタロットやホロスコープを介したセッションをしています。
さて、今回は「嫉妬」について。
衝動が抑えきれずに、自分が自分でなくなってしまいそうになる感覚。荒々しく激しい感情の波に呑まれてしまいそうなほど不安で圧し潰されそうになる心。
渦中にいる者にとって、それがどれほど怖いことでしょう。まさか自分がそうなってしまうとは……そのショックはどれほど激しい打撃となっていることでしょう。
私はいったいどうすればいいのか……
ここに触れる前に、まずはタロットで表現される「嫉妬」について、一緒にみていきませんか?
破壊願望の死神
破壊と創造を象徴する「死神」
「変革/ターニングポイント/潮時/破壊と再生」などのキーワードがあてられるカードで、本質以外の余分なものをそぎ落とし新たな展開を図ろうとする様相が「死神」として表されています。
そして「嫉妬」をテーマにするとき、「死神」からは破壊願望が強調されることが多いかもしれません。
けれど、そんな破壊願望は創造願望とセットであることも、死神は表現しています。
なぜなら、死神は破壊と再生の象徴だから。
そのやり方がどれだけ残忍で衝撃的であっても、壊すことで再生の道を拓こうとするのです。
しかも大アルカナですから、死神のいう破壊と創造の願望は誰しもが持ち合わせる元型。
たとえ嫉妬で、彼の環境も彼との関係も、あるいは自らの身体でさえも、あらゆるものを壊したくなる衝動にかられたとして、その裏に潜むのは「彼と愛ある関係を創っていきたい」という二人の関係性を創造しようとする願望。
「いい」とか「わるい」とかではなく、まずはタロットから表裏一体にあるもの知り、どちらの表現を選ぶことが自分の幸せにつながるだろうか、と眺められたならば。
嫉妬する心も、少しづつ和らいでいくのだと思います。
情熱(火)と感情(水)をコントロールする節制
情熱の火と感情の水をコントロールし自然の流れに乗ろうとする「節制」
「節度ある生活/浸透/潜在的変化/流れにのる」などのキーワードがあてられるこのカードは、占星学的に火の柔軟サインである射手座を象徴します。
そんな火の象徴に加え、水差しから別の水差しへ丁寧に水を流す女神が描かれている節制。
火は男性性で活力やエネルギーの象徴。水は女性性で情や愛を象徴します。
自分のなかに、燃えあがる情熱と清らかに流れる愛情が同居している様を思ってもいいでしょう。
あるいはこれを、男女が交わっている様相とみても構いません。
すると、一方の水差しは男の器。一方の水差しが女の器。
このように捉えることもできるでしょう。
そして、この水がいつも正常に流れているならいいのです。
けれどもときどき、このカードがひっくり返ることがあります。
上にあった水差しは下になり、当然、下にあった水差しは上になるため、もともとの流れは途絶えます。
もし無理やりにでも下から上に水を流そうとしようものなら、水は相手の器に入ることなくこぼれてしまうでしょう。
女が流そうする愛情が男の器に届くことは、決してありません。
またひっくり返って節制することができなくなった女神は、感情の水だけではなく情熱の火さえも扱いきれなくなる。
嫉妬とは、こういう状態をいうのかもしれません。
それはまるで、自分の熱量を抑えることができず暴走し、愛する人に愛情を流すこともできず受け取られもせず、溢れこぼれる感情はやり場のない悲しみに暮れる、節制の逆位置の様。
ときどき、欲と嫉妬に狂う女性のことを「夜叉」という言葉で表現される場面に出くわすことがありますが、まさにその「夜叉」を、節制の逆位置は表現しているようにも感じます。
けれども夜叉は、人々を救うために、十二神将として薬師如来に仕える天部になったり、毘沙門天の従者になったり、あるいは、死者の肉を食い愛欲に狂宴し人を害する鬼女といわれたダーキニーは、日本において稲荷明神や愛染明王に姿を変えて祀られています。
夜叉は、人を護る存在になることができるのです。
だから、たとえ節制が効かず火と水のコントロールを失い嫉妬にかられ、あなたの中に潜む夜叉が顔をのぞかせたとしても、その夜叉はあなたを護る力になるのだとしたら。
あなたは、自分の夜叉とどう付き合いますか?
節制のカードは、そんなことを眺めるきっかけになるかもしれません。
欲望のデビル
欲望の象徴「悪魔(デビル)」
「欲望/洗脳/取り憑かれる/依存」などのキーワードがあてられるこのカードは、特に「欲望に嵌り抜け出すことができない状態を表現する」といわれることが多いです。
けれども、このデビルの「欲」というのは生存本能に近いもので、「精神的、感情的、あるいはもっと深い魂レベルで求めること」「それがあることで生きている実感が得られること」です。
頭の理解ではなく、言葉で説明することがもどかしい、でも、本能が求めるもの
それが、デビルの欲。
そして、欲望や依存、洗脳といった現象を引き起こし、「ほんとうに欲しいものは何かを知るように」と諭すのがデビルの役割。
ただデビルだから……アメとムチを使って生存本能をみせるため、綺麗ごとでは済まされない現実を見せてくるのが痛いところではあります。
ちなみに、タロットで「悪魔(デビル)」と表裏になっているのが「法王」です。
「肯定/善/魔除け/自己主張/遊び/子ども性」といったキーワードがあてられるこのカード。
どうみても、デビルとは真逆のような存在でしょう。
けれども、「法王」には「5」という数字があてられ、「悪魔(デビル)」には「15」という数字があてられており、一桁の数字が同じカードには共通項がある、というタロットの数秘学的な考え方から、この二つは同じ要素を持つというのです。
では、その「同じ要素」とは何か?
それは「創造性」です。
デビルの創造性には、生存本能であり自らの存在価値を知らしめるセクシュアリティ(男性性・女性性)が関わります。
そしてデビルは、限界や束縛、抑圧された環境のなかで、自分の生存本能とセクシュアリティを表現することで何を生み出すのか? を問いかけます。
一方、法王の創造性は、古いやり方と新しいやり方を橋渡しすることで発揮します。
数字の「5」は1~9の数字の中央に位置するため、どの数字ともアクセスをとる立場。
そんな「5」という数字があてられている法王は、さまざまな人からの話を聞き、たくさんの人へ言葉を届ける。そうして価値観の違うものを理解しつなぐ、そんな存在です。
また同じ共通項を持つこの二つの存在はお互いに共鳴していて、デビルの核には法王の霊性が宿り、また法王の核には獣的な本能が存在することを示します。
どんな人格者であっても、当然、「そうしたい」「そうありたい」といった欲が芽生えなければ、何かを成そうとする力も湧いてくることはないでしょうから。
だからこそ、たとえデビルがあなたに甘い言葉を囁くとして、あなたがほんとうに欲しいものは何か、を問うためのものだとしたら?
その欲は己が生きるために必要不可欠なものであるならば……あなたは、そこに何を思いますか?
デビルに出くわすとき、決して「善悪」などで測ることができない、もっと本質的で大事なこと、そんなことを眺められる機会になるのかもしれません。
抑えきれない嫉妬心は、どうにかしようと思ってどうにかなるものなのだろうか?
さて、タロットで垣間見る嫉妬心。
こうやって眺めてみると、物事は表裏一体であり、どこに焦点をあててみるかによって見え方が変わってくることを知っていただけたなら嬉しいです。
ちなみに、上述の「節制」の項でお名前をご紹介した愛染明王様。
左:愛染明王様
中央:お大師様
右:不動明王
(大阪市浪速区日本橋にある崑崙山 宝満寺 大乗坊)
男女の愛欲についてのお智慧と諭しをくださるこの仏さまは、愛する人を自分だけのものにするために食べてしまった経験をお持ちなのだそう。
仏になられる存在であっても、リアルで荒々しく生々しいのです。
いいわるい、は抜きにして、情熱の火や感情の水から発する嫉妬心は抑えようと思ってコントロールできるようなものではないのだと思います。
また一方で、タロットで表裏をみたように、嫉妬心にも表裏があります。
ならば。
抑えることはできなくても、それを出しながらも「私は表裏のどちらの表現をしたい?」と自分の心の音を聞いてあげることはできるはず。
そして「どうしたいのか」を決め「それをする」ことはできます。
出てくるものは仕方がありません。無意識に出てくるものを止めることなど相当の行者でない限り、まずできないでしょう。
だから、いつもセットにしてほしいのです。
「どうしたい?」と心の音を聞くことを。
もし、彼を好きになるほど抑えられなくなる嫉妬心が辛く、怒りと感情の起伏に苦しんでしまうことがあれば、いつでもご相談ください。
どんなお話も、お聞きします。
人に言いずらい悩み、誰にも分かってもらえない悩み、お伺いします
悩みを相談できる人がいない、誰にも分ってもらえず相談できない、人に話すと変に思われるのではないかと心配……
周りの誰にも言えないどんなお話もお聞きし、今抱えられているしんどさや辛さ、あなたの気持ちを占いから整理するお手伝いをします。
https://uranaiba.com/uranai/
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