占いのご相談のなかでも「相性」がテーマになることがしばしばあります。
私はどんなご相談もタロットから占うので、「相性」を占うときもタロットから読み解きますが、補足的に、命術である西洋占星術から読めることも参考にしています。
タロットと西洋占星術は親和性が高いので、タロットから読めることに命術の論点を加えたいときにとても役立ちます。
ちなみに西洋占星術の場合、たとえば「相性」に関していうと、「相性がいい」「相性がわるい」などを分析できる「型」があるので、その型に沿わせれば、その判断がとても簡単にできます。
ただ、私は、そういうステレオタイプな読み方には疑問を持っていて、なぜなら、目の前の相談者さんのことを、その「型」によって置き去りにしてしまいかねないからです。
だからこそ、「相性」を読むにもタロットから主に読み解くわけですが、でも、なぜ「目の前の相談者さんを置き去りにしてしまう」というのかというと……
その「型」が、「どうせあの人とは相性が悪いから、分かり合えないんだ……」などと、人と対話することから逃げる「言い訳」に使われてしまうことがあるからです。
もちろん、「それはダメだ」などと言いたいのではないのです。
ただ、人と分かり合えないことを「占い」などに逃げてしまうクセがついてしまうと、ほんとうに大事な時に大事な人とコミュニケーションできないまま、自分を苦しめてしまうことを危惧するからです。
占いが、その人が対峙すべき目の前の現実から向き合う力を奪ってしまっては本末転倒だ、という立場で、私がタロットを扱っているというのも、大きな理由です。
占いで「相性」を見るメリットとデメリット
さて、タロットにしても西洋占星術にしても、占術が教えてくれる「相性」というのは、あくまで人との関係性を築くための「ヒント」に過ぎません。
たとえば、ホロスコープが示すものに、その人が持って生まれた資質や情動傾向があります。
一方で、どんな資質や情動傾向を持っていたとしても、育っていく環境や学ぶことによって、養われていく価値観や考え方は、人それぞれ異なります。
持って生まれた資質や傾向だけが、その人の「今」を作っているわけではないので、当然、命術で読む「持って生まれた資質や才能」だけで、人との「相性」が図れるものでもありません。
養われてきた価値観や考え方も、人間関係の育て方に影響してくるわけですから。
他にも、たとえば、タロットで相性を占ったとき、ネガティブに読まれることの多い「悪魔」のカードが「相性」として表れていて、「結果」に「カップキング」や「カップクイーン」などの愛情豊かな人物カードが出るなど
「相性」にはネガティブなカードが出ているのに「結果」にはポジティブなカードが出ていて、お互いの関係性を上手く育てていく様子が読めるケースを、幾度となくみてきました。
そして、鑑定後の様子として、実際的にも「そうである」ことがフィードバックされてくるわけですが……このようなケースとたくさん向き合っていくうちに
結局、どんなに「相性」を占ってみたところで、お互いにコミュニケーションをとって、自分たちの思いをぶつけ合わないと実際のところは何も始まらないし、関係性を育てることはできないのだと、つくづく思うようになりました。
どれほど相性が良いとされる結果が出てきていても、人との関係を築いていくための対話をすることなしに、深い絆が生まれることはないのです。
だからこそ、占いの相性が「良い」とか「悪い」とかで終始させたくないし、私たちが本当に向き合うべきなのは、タロットや星が示す相性などではなく、目の前にいる生身の人、そのものです。
相性がいい、悪いという二元論のラベルを貼って思考を停止させてしまうことは、関係性を育てるプロセスを放棄しているのと同じではないかと思ってしまいます。
相性、で大事なこと
人は、それぞれに価値観や考え方が違っていて千差万別です。全く同じになること、は到底ありえません。
そういう意味においては、タロットや西洋占星術から、お互いにどのような違いがあって、どんなところでズレたり、重なったりしやすいのか……そういうことを分析できるのは、ひとつのメリットだとは思います。
なぜなら、相手がなぜそのような行動をとるのか、何を大切にしているのかを理解するための「鍵」や「ヒント」になるからです。
けれども、だからと言って、何もしなくても心が通じ合う魔法のようなものは存在しません。
たとえ相性がいいと言われる結果が出てきたとしても、コミュニケーションなしに関係性は育めないのが現実です。
そして、相性の良さに甘えて対話を怠れば、どんな関係もやがて形骸化していきます。
逆に、いくら相性が悪い、としても、何かあれば、その都度、お互いに納得するまでコミュニケーションを図っていけば、大きな絆を育むことはできるのです。
問題が起きたときに「やっぱり相性が悪いから」と逃げるのではなく、「どう関わっていったらいいのかな」と歩み寄る努力が、関係性を本物にします。
結局、どうなりたいのか、どうしたいのか
「相性占い」という「答え合わせ」に頼ってしまうと、自分が傷つかない安全な場所から相手を品定めしているようなもので
それがクセになってしまうと、≪一生出会えないかもしれないけれど、「相性がいい」という人が出てくるまで待ち続ける??≫ という、身も蓋もない話になってしまいます。
もちろん、そういう在り方があってもいいと思いますが、何度もいうように、「相性がいい」からといって傷つかないわけではないし、心が揺さぶられないわけではありません。
どんな「相性がいい」という相手であっても、自分自身の感情的なものと折り合いがつけられないようであれば、「別れる」ということも十分にあるわけです。
どれだけ不器用であっても、どれだけ価値観が違っていても、「この人と関わってみたい」となったならば、そこから、お互いの価値観をすり合わせ、出来事に関わっていく。
そんな泥臭いプロセスの積み重ねだけが、占いのいう「相性」をも超える絆を育むのだと、私は思っていて
だからこそ
「相性が悪いから、あの人とは分かり合えない」のではなくて
「相性が悪いとしても、お互いにいい関係を育むにはどうしたらいいのだろう?」
こんな風に、占い相性を活かしていけたらいいな、とも思います。
もちろん、無理して相手に合わせようとする必要はないのです。
あくまで、自分がどうしたいのか。
相性が悪るかろうが、良かろうが、その人と「どうなりたい」「どうしたい」のかしだい。
占う側にいるからこそ、このことも一緒に、頭の片隅へ留めておきたいところです。


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