さまざまな悩みを抱え訪ね来られるたくさんの方とセッションしていくなかで実感していることがあります。
それは、カードに出ていることをそのままお伝えするだけで「そうなんです……まるで自分の心が見透かされているようですね。やっぱりそうですよね……」と相談者ご本人の納得につながることが多いこと。
占ってくださったことは、ほんとうに、納得できることばかりでした。頭では分かっているとはいえ、なかなか気持ちが追いつかないというか……やっぱり背中を後押してほしいときってあるじゃないですか?!ほんとうに、ありがとうございました。これで、前に進めます!
相談者がなんとなく感じていた予感がタロットに「あてられる」と、未来的にあった予感は鮮明となり、いい意味での開き直りの後押しとなるようです。
でも……そもそもなぜ、カードの云わんとすることをそのままお伝えすると相談者の納得につながることが多いのでしょうか?
なぜ、相談者の予感がタロットに表れてくるのでしょうか?
今日は、そんなお話です。
なぜタロットが「あたる」のか?
これを科学的に証明することは、正直、今の私にはできません。ただ、心理学からの学びと占いのセッションを重ねるなかでの経験からお伝えできることがあります。
ここでは、そのことについてお話できればと思います。
なぜタロットが「あたる」のか?
その理由として、タロットを読む人が「タロットは無意識に潜る道具であり見えない領域を可視化してくれるもの」として扱うから、とお伝えしたいと思います。
タロットはその絵柄に詰まったシンボル(象徴)によって目に見えない世界(無意識)にあるものを目に見える世界(意識)にあげて見えるようにしてくれるもの
こういう認識でタロットリーダーはタロットを使います。
そのためタロットを引くと、その時のその人の心の奥底にある様相や、言葉にしずらい感情や感覚をもタロットという道具が見せてくれます。
そこには、その人と無意識で繋がっている「彼の気持ち」さえ含まれることもあります。
もちろん、道具は「それを使うことで何ができるのか」が分かっていないと上手に活かすことができません。
道具というのは、その道具を使う人が、その道具の使い方を理解し、ある目的をもって使うから「そういう道具」になるのです。
たとえば、ハサミは、輪になっている部分に指を入れ輪の部分を動かすことで刃を開閉する、という使い方を知っていて「紙を切る」という目的をもって使うと、ハサミで紙を切ることができます。
目的が「指を切る」であれば、ハサミで指を切ることもできるでしょう。
けれども、ハサミの使い方を知らない人、活かし方がわからない人に、いきなりハサミを渡して「役立つよ!」といっても使うことはできないでしょう。
つまり道具は、「使い方」と「使う目的」によって、できることが変わってくると、私は考えています。
それはタロットも同じで、「その絵柄に詰まったシンボル(象徴)によって目に見えない無意識にあるものを意識にあげて見えるようにしてくれるもの」という大前提を踏まえなければ、タロットは「絵が描かれたただの紙」にすぎません。
けれどもこの大前提を踏まえるから、タロットリーダーは、目に見ることができない彼の気持ちさえタロットによって読むことができるのです。
またタロットも、「使う目的」によって読み取れることも変わってきます。
「いつ、どうなるのか」だけを読む目的であれば、それだけしか読み取ることができません。
けれど、もっと深い領域まで読み取る目的を以ってタロットを扱えば、表面的な部分からもっと深い部分まで読み取ることもでき、リーディングには奥行きが出てきます。
とはいえ……そもそも「表面的な部分」や「もっと深い部分」とは、何を指しているのでしょうか?
目に見える世界(意識)と目に見えない世界(無意識)について
人の「意識領域」というものがあるとして、表面的な部分とは意識のことを指し、私たちが五感で知覚できる世界、つまり、現実の世界となります。
それ以外の領域は五感で知覚することができない領域であり「あるけどない」意識、つまり、無意識です。
そして、それを「もっと深い部分」と表現しています。
また無意識の領域も階層に分かれている、といわれていて、代表的なものをあげてみると
- 個人的無意識:個人的な環境に影響された領域
- 民族的無意識:国や文化的な背景に影響された領域
- 潜在意識:個人的範囲ではあるが
他者にも存在する領域 - 集合無意識:潜在意識よりも深く
人類みながつながっている領域
など、最も深い部分では誰もが繋がっている、といわれます。
また知覚できる領域は全体のたったの3%(意識の研究が進むにつれて、3%よりもっと少ない、といわれているようです)、「あるけどない」無意識の領域は全体の97%と大部分を占めている、といわれます。
意識の世界(見える)よりも無意識の世界(見えない)の方がずっと広いといってもいいのかもしれません。
そして、そんな無意識の世界が私たちの意識の真下に常にあるものですから、ときどき、意識の表層に現われることがあります。
それが、たとえば「直観」といわれていたり「第六感」や「なんとなくの感覚」と表現されるものたちです。
人は意識で図ることのできない見えないもの(無意識)に影響されて生きている、といわれる所以です。
ところで、「無意識」をもっと具体的にいうと、どんな表現ができるでしょう。
無意識とは過去の経験の積み重ね
たとえば、歯を磨くとき歯ブラシを「右手で持とうか?」「左手で持とうか?」などと考えて持つことはないと思います。「歯を磨こう」と意識すれば勝手にそのように体が動いているはずです。
また自転車で走るとき。自転車に乗って、ペダルを右足から踏み込もうとか左足から踏み込もうなど、普段は考えて乗ることはないと思います。「自転車に乗ろう」と意識すれば勝手にそのように体が動いているはずです。
歯を磨くのに、歯ブラシのこの部分を右手でこうやって持って……など考えて動いているわけではない。つまり、意識で考えなくとも体が動くのは、「あるけどない意識」のおかげです。
このように、「あるけどない意識」を無意識といいます。
けれども、勝手にそのように体が動くまでに、きっと、小さなころに歯ブラシの持ち方から歯の磨き方まで教わったはずです。自転車も、こげるようになるまで練習をしたと思います。
つまり、勝手に体が動くようにするまでに意識して動き続けたことがあった、ということです。
あるいは、もっと極端なことをいえば、普段、呼吸をするのに「息をしよう!」と考えながら呼吸をすることはないと思います。体が勝手に動き呼吸をしていることでしょう。
呼吸のように、細胞に刻まれた「こう動く」という情報による「あるけどない意識」もあります。
平たく言えば、自分が生きているうちの過去であろうと、遺伝情報のように代々受け継がれてきた過去であろうと、いずれにしても、無意識は「過去の経験の積み重ね」によって作られているということです。
タロットを扱うときの心理の大前提について
そして、タロットはこのような無意識に作用する道具として扱いますから、そこには心理学的な大前提が伴います。
その大前提は「その人の思考(意識と無意識)がその人の現実を作っている」というもの。
言い換えると、現実に今あることは全て自分(自らの無意識)が望んだこと、ということになります。
感情的な状態も心理的な様相も、また、その人の周りにいる人、恋人や会社の同僚や上司さえ映し出されるのですが、それは、その人が『作っているもの』であって、それが、その人が見ている世界であり、その人が生きている現実である、と捉えます。
つまり、「人」も「もの」も、あらゆるものは、その人の意識の領域を通してでしか知ることはできなくて、もっと簡単にいえば、あなたが「そういうもの」とするから相手は「そういうもの」となる、ということ。
たとえば、あなたが「彼は私を嫌っている」とするから相手は「私を嫌っている」ということになる、ということ。
そしてそれは、「意識」だけではなく「無意識」がどう思っているかによります。
意識で「彼は私を好きだ」と思っていても、無意識が「彼は私を嫌っている」となっていれば、無意識の領域の方が大きいものですから、現実に与える影響力も強くなります。
つまり、どんなに「彼は私を好きだ」と頭で考えていても、「彼は私を嫌っている」と見えない部分で思っていれば、「彼は私を嫌っている」という現実しか現れない、というわけです。
あるいは、「結婚」ということを例にあげてみます。
たとえば、「結婚がしたい!」と頭で思っていても、無意識に「結婚して自分の母親みたいになるのはイヤ」「結婚は私の自由を奪う」などの「結婚がしたくない理由」を持っていれば、いくら意識で「結婚がしたい」といっても、「結婚しない」現実しか作れない、とうことです。
なぜなら、それが無意識の望んでいることだから。
ならば。
もし無意識にどんなものが隠れているのかを見ることができたなら?
隠れている無意識をみて、それが不都合で変えたい!となれば?
そうして無意識を変えられたなら?
現実は変わる。
こうなります。
タロットが見せてくれるもの
さて、ここまでにタロットでみることができるものとして「表面的な部分」や「もっと深い部分」、それはつまり、私たちが認識できない「無意識の領域」も含まれるとお話しました。
そして、無意識は過去の積み重ねである、ということ。
そのため、無意識に作用するタロットが見せてくれることは、ミラクルや奇跡などではなく、これまでに積み重ねてきた経験や知識、そこから生まれる思考と行動パターンによって得られる延長線上のこと。
それらをカードに表現してくれるだけです。
でもだからこそ、実際にどう動き未来を創っていくのかはその人しだい、といい、状況の流れを意識することで現実はいくらでも変えていくことができる、と教えてくれます。
また「努力すべきことはすべきこと」「成るように成る」といい、スピリチュアルな運命やカルマといった言葉で片付けることもなく、あたりまえのことを当たり前に教えてくれます。
そして「タロットは無意識に潜る道具であり見えない領域を可視化してくれるもの」として扱いますから、カードの云わんとすることをそのままお伝えするだけで相談者がなんとなく感じていた予感さえも拾い上げることができ、納得につながることは多いのです。
ただ一方で、占いに奢りや過剰な期待を寄せていると、痛いところを突かれて辛辣に感じられることも多いのだと思います。
依存性をはらむ占い
ところで、こちらの記事でもお話をしていますが、占いには依存性をはらみます。
▶タロットは怖い、と思われる理由は依存性をはらむから。その危うさも理解した上でタロットの良さをうまく使いこなそう
その依存性が現れてくるのは、「あたる」ことをあてにして自分で考えることを辞めてしまうとき。
「あれ、今、本当に大丈夫かな?先生に見てもらおう」の繰り返しから、「見てもらわないと不安でしょうがない」となり、依存が表面化してきます。
それに、占いに行くと気分がよくなってしまうのです。
ほの暗く耳心地のいい音楽が流れ、いい香りに包まれた、狭い部屋
そこで「あたる」といわれる占い師からの言葉が耳に入ってくる。共感してくれて励ましの言葉と共に「こうすればもっとよくなる」といわれたならば、どうでしょう……
悪い気はしないと思います。
けれども、ここでひとつ覚えていてほしいのは、<ほの暗く耳心地のいい音楽が流れ、いい香りに包まれた、狭い部屋>は、ある種、心理的な効果を上げるための演出です。
洗脳されたように思うのは、このような演出の影響が少なからずあるからです。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚といった五感に「いつもと違う」刺激を与えながら頭の中に言葉を注ぐことで、洗脳とはいとも簡単に演出できてしまうもの。
そういう意味でも、占いが依存を生みやすいのです。
でもだからこそ。
占いは信じるのではなく、自分と向き合い見つめ直すきに応援してくれるツールとして、納得の人生を切り開くためのアイデアやヒントをくれる道具として、占いを活かしてほしいと思うのです。
▶参考記事:占いを上手に活用しよう。迷った時に自分で決断できるよう占いを活かすといい、占いができるようになるといい、とお伝えする理由
タロットを自分のためにもっと活かせるようになるために
いかがでしょう。
タロット占いはなぜ当たりやすいと言われるのか?というお話から、タロットが見せてくれるもの、そして、タロットにはらむ危険性までをお話してきました。
お客様にはいつもお伝えするのですが、占いでどんなに「いい結果」が出ていようと「わるい結果」が出ていようと、≪そうなる≫には実際にその人が「そうなるように動く」からです、と。
結局は、「その人がどのように動くのか」にかかっている、ということです。
そのため占いは、「いい結果」の通りになることもあるし、奢れば「いい結果」の通りにならないこともあります。もっといえば、どんなに「わるい結果」があったとしても、それを回避することもできる、ということです。
そしてそれらは、現実的な出来事を通じ、その人がその都度、「その時どのような態度をとるのか」を選択し決めて「やる」ことにかかっています。
「こうすればいい」「ああすればいい」ということが占いに出てきていても、実際に「それをやる」かどうかは、その人の自由でありその人しだい。
だからこそ、占いは信じるのではなく活かしてほしい、とお伝えしています。
少しでも、活かす占い、に興味を持っていただけたなら嬉しいです!
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