タロットに関わらず占うタブーとされていることに、人の生死、ギャンブル、犯罪に関わることがあります。
そのため、占いハウスや電話占いなどでは上記のあたりを「占えません」としています。また占い師がブログなどの発信で「占えません」「タブーです」としている人は多く、私もそれらの類のことは「占いません」としています。
もちろん犯罪に関わることは論外ですが、ただ、ギャンブルに関してはその範囲に投資の案件を含めるかどうかなどの具体的な範囲の特定は占い師によるかもしれません。
またこれらの「三大タブー」とされているなかで、扱いに悩むのが「人の生死」で、なかでも「死」に関わることだったりします。
なぜなら、たとえ占うつもりはなくても、たとえば健康のご相談を受けていて、その展開のなかで亡くなる可能性が読めてしまうことはそれほど珍しいことでもないからです。
では、「占えません」とタブー視されている「死」というものがタロットから読めてしまうときはどうしているのか?
ここでは、私の経験も交えてお話したいと思います。
占うことに興味を持たれている方がタロットとより親しまれようとするときのご参考になれば嬉しいです。
「死」という当たり前のことを当たり前に教えてくれるタロット
さて、特に「生死」について占いハウスや電話占いで「占えません」としていても、占い師がブログなどの発信で「占えません」「タブーです」としても、その事情はタロットには全く関係ありません。
どれだけ人が「死」をタブーにしようが「倫理的に問題だ!」などと言おうが、その時その場に「相応しい」ことや「当たり前」のことを当たり前に教えてくれるのがタロットですから、「死」を教えてくれることは当然にあったりします。
たとえ「占えない」としていても展開のなかで読めてしまうものですから、占う側にとっては、どうしようもないことだったりします。
しかもそれは、ご相談の内容を問いません。
健康が相談の主旨にあるときに見てしまう「死」
占いでよくあるご相談のテーマに、恋愛、仕事、人間関係はダントツに多い内容ですが、健康について尋ねられることもよくあります。
しかもメインのご相談が仕事にあって、そのあと少し時間があるからと何気なく尋ねられることも多いです。
もちろん健康について占うときは、「タロットで健康を占う方法。読み方のコツと注意したいこと」の記事にも書いていますが、第一に専門家に診てもらうことをクライアントに勧めること。
占い師として、ここの認識を有耶無耶にしていはいけないと私は思っています。
ただ、それはそれとしても「健康」についてのご相談を受けるときに、「死」を見てしまうことはあります。
その方ご自身の「健康」が話題の中心にある場合でも、身内や大事な人の「健康」がご相談の主旨にある場合でも、ケースは問いません。
ちなみに、その方ご自身の「健康」に焦点があるときは、ほとんどの場合、その方ご自身が状態をよくご存じです。
一方で身内や大事な人の「健康」が相談の中心内容にあるとき、この場合は特に、タロットが云わんとすることをどのように相談者に表現し伝えるのかが問われるように思います。
とはいえ、タロットはそこにもちゃんとアドバイスをしてくれています。
「健康」であろうが「恋愛」であろうが、相談者以外の人が話題の中心にあるときの占い方として、私は基本的に「変形ケルト十字」という17枚のカードを展開する方法をとります。
このスプレッドでカードを読んでいけば、主体(相談者)と客体(健康を気遣いたい身内や大事な人)の相互変化を心的状態や行動性から読み取ることができるからです。
占う内容に関係なく表現される「死」
さて、健康がそもそもの相談の主旨になっている場合は占う側も心構えがしやすいのですが……たとえば、こういうケースもあります。
恋愛が相談の中心になっていて「その人とこれからどうなるのか」を占うケースです。
実際にあったことで今でもその展開をよく覚えているのですが、特に「悪魔」と「死神」が印象的でした。けれども、正直、そのときは大事な人が亡くなることまでを読むに至りませんでした。
なぜなら、恋愛のご相談で「悪魔」や「死神」が出てくることはよくあることだから。
特に珍しいカードでもありませんし、私など自分を占うときに頻繁に出てくるカードの類です。
けれども、そこになぜ「死」が表現されていたのかが分かったかというと、そのご相談者さんが報告に来てくださったからです。
「急に病気が見つかってそれから1か月後に亡くなりました」と教えてくださったのです。
改めて展開を眺めていて、ふと気づいたことがありました。
実は、それからです。
タロットにみる「死」について考えるようになったのは、占い師として「死」に対する自分のスタンスを持つようになったのは、このことがきっかけでした。
たとえ「占えません」としても、ある意味、占い師は人の人生の流れを覗く行為をしているのだから、人の人生として当たり前にある「死」に対してどう向き合うのか、といったスタンスは大事なのだと思いました。
また「生死を占うことは倫理的に問題だ!」などと口でいうのは簡単ですが、「死」に対してのスタンスを占い師が持たないままに「占えません」というのは全くの形骸だとも思いました。
どんなに占うつもりはなくても、この世に生まれた人が唯一約束されていることとしてある「死」は当たり前のことで、それをご相談のなかで見てしまうことは当然にあることだからです。
ちなみに「亡くなった人の気持ちを見てほしい。占いはこのご相談に応えることがほんとうにできるのだろうか?」
という記事にも書いていますが、「亡くなった人の気持ちを知りたい」というご相談も意外と多くあったりします。
この場合は、そもそも「死」を経たあとのことで占いのタブー事項とは言えないのだと思いますが、それでも、こういうご相談のときも、占う側の「死」に向き合う姿勢は大事だと思っています。
どれだけタブーであったとしても、当たり前に「ある」ことで全くのリアリズムのなかにみる「死」
タロットをスピリチュアル化してその神秘性ばかりを強調し過ぎてしまうと、こういうリアリズムと向き合うことは難しくなってしまいます。
「死」はスピリチュアルとは全く程遠い現実であり誤魔化しのきかないものだからこそ、タロットもそれに真摯に応えてくれているからです。
タロットのどんなカードで「死」が読めるのか?
ところで……タロットの教科書的な本をみても、直接的な「死」の表記をみることはほとんどありません。
それは、占う人のタロットとの接し方から出てくる「カードのクセ」にもよりますし、なによりタロットから「死」が読めるのは、その事実を知ってカードから感得した積み重ねを持てるからです。
そのため、一概に「このカードはこう読む」と言い切ることのできない領域だと思います。
ただここでお話できることとして、私の「カードのクセ」からいうと……
「死神」から「死」をみることは多いかもしれません。
「死神」のカードには、「大きな変化」「決別」「終了」「潮時」といった意味が当てられていて、状況としては、なかなかに苦しい時期を過ごしている場合に出てくることが多いカードだと思います。
そういう意味で「ネガティブ」に捉えられがちなカードではありますが、一方で、いわゆる「ポジティブなカード」といわれるカードから「死」をみることも意外とあります。
たとえば……
【世界】
【コイン10】
「世界」のカードは「望み叶った世界」「成就」「完結」といった言葉が当てらたり、「コイン10」のカードは「完成」「安定」「繁栄」「受け継ぐ」といった言葉が当てられることが多いです。
興味深いのは、どちらのカードも「土」というエレメントに相当していて
「世界」は大アルカナと呼ばれる種類に分類される22枚のカードのうち最終番号が振られているカード
「コイン10」は1~10の数字が付された小アルカナと呼ばれるカードのうち、最後の数字「10」が振られているカード
どちらも、物事の最終段階を象徴するカードでもあります。
ちなみに、エレメントとは「万物は4つのエレメントから構成されている」という古代ギリシャの思想でタロットの原理原則にある考え方です。
そしてエレメントは4つあるというのですが、それが「火」「土」「風」「水」の4つ。
ここではそのうちの「土」が強調されているわけです。
なかでも「土」は「形あるもの」を象徴していて、「体」「物質」「お金」「現実」「五感」といったキーワードがあります。
つまり……このカード達は、まさにリアリズムに息づくカードだということ。ここにスピリチュアルな要素は全くないのです。
またそこに、それぞれの分類における最終番号が付されているというところ……
このようなカード達のなかにも「死」というものが読めることはあって、タロットが≪「死」は当たり前に「ある」もの≫だと教えてくれる、という所以でもあります。
もちろん誤解していただきたくないのは、これらのカードが出ているからといって、毎回、「死」が見えるわけではありません。
タロットは展開するカード達の相互関係や変化の具合、そしてなにより、その人の状況や状態の現実に沿って読むものですから、「このカードが出たからこうなる」というものでもありません。
あくまでも、ひとつの参考事例です。
それともうひとつ。
たとえカードから「死」が見えるといっても、それをどのように表現し相談者に伝えるのかは、その占い師のスタンスによる、としかいいようがありません。
そういう意味においても、「死」とどのように向き合うのか、という占う側のスタンスは問われます。
そして、どれだけタブーであろうが「死」に対してのスタンスを占い師が持たないままに「占いません」というのは全くの形骸です。
人の人生として当たり前にある「死」であり、その時その場しだいでタロットは当たり前に見せてくれるもの。
リアルに直面しスピリチュアルなもので誤魔化しようのないものが、「死」だからです。
「死」に対するスタンス
では、「死」に対する私のスタンスをお話すると……
まずもって、「死」に関わろうが関わるまいが、そもそも「健康」については占い師が診断をしてはいけないもの、という考えにおります。
なにより、占い師は医者ではない。
ここには謙虚であらなければならないと思いますから、たとえば「がんでしょうか?」と尋ねられてタロットで「悪魔」が出てきても断定的に応えるべきではない、と考えます。
また健康問題はあくまでも「お医者さんに診てもらう」スタンスを持たないと、法律や倫理的な問題以前に、そもそも占う側のメンタルに負えなくなることも多いからです。
占い師の分を超えたことは、自分の首を絞めることになりかねません。
そのため特に健康については、なにかあればお医者さんに行くことを前提に、そして、占いで診断はできないこと、タロットから読めること、を占う側がちゃんと理解し、それを相談者に説明すべきかと思います。
それでも、展開から「死」が読めてしまうことはあります。
その時は、「死」の感得を他人が奪ってはいけない、という立場で私は相談者さんと接します。
つまり……タロットから読んることを相談者さんに委ねるのです。
そのために、私は展開に出てきたカード達を相談者さんに説明することをしていきます。
もちろん、タロットのことを知らない相談者さんであっても、「このカードはこういうことが描かれていてね……」と数字やエレメント、象徴をひとつずつ説明します。
そして尋ねます。
「どう思う?」と。
すると、相談者さんが、自分の心内をだんだんと話してくれます。
占い師ごときが「こうじゃない?」と言わなくても、タロットを説明することで、それをきっかけに相談者さん自身が応えを引っ張り上げてきてくれるのです。
それはきっと、相談者さんが一番わかっているからだと思います。
たとえ無意識にしても、なぜ占いを尋ねたのか
自分はこれからどうすればいいのか
相手とどのように接していくといいのか
頭の中でまだ整理できていなくても、そういうことを、その場で言葉になるままに出してきてくださいます。
だから、たとえ「死」が読めたとしても、とりたてて私から「死」を表現する必要もないのです。
ご相談者さん自ら、感じて納得されていく過程を見守るだけです。
ちなみに、この「相談者さんにカードを説明して尋ねる」というスタンスは、健康や恋愛、仕事、人間関係など、どんなご相談内容に関わらないスタンスですが、ここでも同じように接しています。
さて、タロットを読むというのは、タロットと読み手と相談者の3者が交わってこそ成せるもの。
タロットの云わんとすることを汲み取るための知識や技術の研鑽は必要だけれど、占い師が独りで読むものではないし、どれだけ知識や技術があっても、すべて相談者の現実に沿ってこそ、タロットは読めるものです。
こういうスタンスで私はタロットを読んでいるので、「死」が読めても直接的にお応えすることはありません。
そういう意味で、「死について占いません」とお伝えしています。
最後に
「死」というものは、生まれてきた以上、当たり前にあるもので特別なことではありません。でも、だからといって「死」の経験は生きている限り得られないことですから、達観しようとする必要もないし、ましてや、生きている側がスピリチュアル性で有耶無耶にし納得のふりをするものではないことだとも思います。
だからもし、ちょっと話したい……ということがあれば、お尋ねください。
人に言いずらい悩み、誰にも分かってもらえない悩み、どんなお話もお聞きします。
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