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タロットを扱う上で霊能力やサイキックなどのスピリチュアルな力は不要。それよりもっと大事なこと

タロットの占い方や使い方などを発信していると

「タロットを扱うのに霊能力やサイキックなどのスピリチュアル的な力は必要ですか?」
「タロットをやっていると霊感が強くなるんですか?」
「タロットを読むにはチャネリングも学んだ方がいいですか?」

といったお問い合わせをいただくことは実際にとても多いです。

占い師のなかにはそういう力があることを謳っておられる方がいたり、なかにはブランディングのひとつとして提示されるケースもあるそうなので、興味を持たれる方が多いのはうなずけます。

けれど、このようなお問い合わせをいただく度に「当方は、霊視やサイキックなどの類に関わるスピリチュアル要素は皆無です。もしそういうことを期待されておられましたら、残念ですがお応えすることはできませんので、なにとぞご了承ください」とお返事しているのが実情です。

たしかに私はタロットを「見えないものを可視化してくれる道具となる」という立場で発信をしていますが、けれども、タロットを霊能力やサイキックといったスピリチュアルな類として扱いたいわけではありません。

なぜなら、霊能力やサイキックなどの力があろうがなかろうが、タロットへの理解があればタロットを読むことは十分に可能だからです。

お客様からは「スピリチュアルな感じがないから安心します!」「なんでそう読むのか、リーディングを詳しく説明してくださるから分かりやすいし納得できます」と嬉しいお言葉を頂きます。

それに、そもそも霊能力やサイキックなどのスピリチュアルな力があるとかないとか、「見える」とか「聞こえる」とか……そんなことより、タロットを扱う上で、もっと大事なことがあります。

そこで今回は、特に≪タロットの扱い方で大事なこと≫をテーマに綴っていきたいと思います。

なお≪タロットの扱い方≫としてもっと実際的なこと、たとえば、タロットカードの意味や展開の方法、タロットの読み方などのことはたくさん記事を書いているので、ぜひそちらをご参考いただけると嬉しいです。

タロットを扱う上で霊能力やサイキックなどよりもっと大事なこと

霊能力やサイキックなどのスピリチュアルな力があるとかないとか、そんなことより、もっと大事なこと、それは、タロットが≪人に害を及ぼす道具となる危険性を含んでいる≫ということへの理解です。

どんな道具も、得てして≪人の役に立つ側面≫と≪人に害を及ぼす側面≫との表裏があります。

誰でも一度は使ったことがあるだろう「刃物」という道具。
昔の人は火をくべたり建物を建てるために木を切ったり、衣類にするために木や動物の皮を剥ぐことに使ったことでしょう。

今では果実や野菜を食べやすい大きさに切ったり、魚や肉をおろすときには欠かせない道具となっています。けれどもそんな道具も、人に向けて使うことはできます。

ほとんどの現代人が刃物を人に向けて使うことはしないでしょうが、それでもないわけではありません。

そんな≪人の役に立つ側面≫と≪人に害を及ぼす側面≫との表裏という意味においては、タロットという「見えないものを可視化してくれる道具」も同じです。

そして見えないものを「見たい」「聞きたい」という人の願いの中に人の欲が絡むとき、その時に生まれる奢りによって、タロットは≪人に害を及ぼす道具≫となってしまいます。

だからこそ、その扱い様です。

私にタロットとの親しみ方を教えてくださった先生はおっしゃいました。
「タロットには謙虚であれ」と。

タロットと関わり続けていると、ほんとうに、身に沁みます。

そもそも「見えないもの」とは?

ちなみに、私には、いわゆる「霊能力」や「サイキック」といわれるような力はありません。

ただ、「見えないものを可視化してくれる道具」としてタロットの扱い方を発信している以上、また、大事な人を突然亡くされたお客様のことをきっかけに、私自身、「見えないもの」との関りについて再考したいと、熊野・伏見先達のもとで旅をしています。

熊野や出雲、吉備、ことあるごとに伏見と訪ね、そして 四国88か所のお遍路を約3年かけて1巡目を満願し、今、思うことがあります。

それは、「見えないもの」とは全くの日常にあって誰の周りにもある「自然なもの」といってもいいのだと思うことです。

それは、笑ったり、怒ったり、喜んだり泣いたりする自分がいるのと同じで、「見えないもの」とはいつも自分のそばにあって、何ら特別でもない当たり前に「ある」もの。

それを知るのに霊能力やサイキックといった特別視されるような力は必要もなく、身近にある「当たり前」に気づけるかどうかだけのこと。

けれども御幣を恐れずにいうならば、そういう「見えないもの」「自然なもの」にだけ沿うあり方は、純粋無垢で傍若無人。そこに「いい」や「わるい」も、「善」や「悪」もないだけに、ときに理不尽で不条理にあるように思います。

だから人には知性があって、「いい」や「わるい」の分別をつけることができ、その分別がやがて人として生きる智慧となり、理不尽や不条理さえも、その智慧を以って凌ぐことができるように成っているのでしょう。

タロットを読むのに霊能力やサイキックなどの力が不要な理由

またもうひとつ御幣を怖れずにいうならば。

脈々と語り継がれ誰でも親しむことができる、神話や記伝、般若心経などの経典とも同じく、タロットは、自然への畏怖の念が込められた「先人の智慧」がふんだんにつまったもの、という理解に私はいます。

作者不明のマルセイユタロットなどは記録に辿ると何世紀も前に存在していて、一説には、タロットは言葉を持たなかったジプシーによって「人としての生き方」を語り継ぐ手段として作られたものといわれています。

身を置く環境に生活様式、価値観が先人とどんなに異なるとしても、今の私たちと変わらず感情を持ち知性を働かせ体を動かすことで生きる同じ、人。

科学的な技術も知見も今より断然乏しくもっと自然豊かな厳しい環境の中で、けれども今の時代と変わらず、人の思惑の中で生き抜いてきた先人たち。

そんな先人たちが「生きる智慧」を文字や記号、数字や図形、絵によって語り継ぎ、今なお「タロット」という形で残っていて、今に生きる人にも見聞きできるように「ある」ということ。

そこに想いを馳せると、タロットが「先人の智慧の塊」といっても言い過ぎではないように思うからです。

そして「先人の智慧の塊」であるタロットを読むのに、どうして霊能力やサイキックなどの力が必要でしょう……そんなものは、不要です。

タロットは「人」がその「知性」を以って作ったものですから、タロットに描かれた「先人の智慧」を理解しようとする姿勢で学べば誰でも読むことはでき、そこに霊能力やサイキックといった力が必要なはずもないのです。

そしてタロットは、そんな「先人の智慧の塊」だからこそ、もし、自分の力だけではこれ以上どうすることもできない状況にいるならば、あるいは、もっとよく生きたいと願うなら、タロットという先人の智慧を借りて、今の自分やその環境と向き合うことで≪何をして、何をしない≫といった「動き」を考えてみませんか? とお話ししています。

「占いを活かす」ということ

さて……

起こった過去の出来事を「なかったこと」にすることはできません。

それに、どんなにしんどくて大変な状況にいても、人は、そのときどきに自分のできることしかできないのだから、今の自分にできることを淡々とやって毎日を過ごすしかありません。

どんなにしんどくて泣いても誰のせいにもできないし、そこで留まりたくないなら自分が動くしかなくて。

それでも

呼吸がたくさんできたら細胞の動きは活性されて
ごはんをしっかり食べたら体は動くし
寝ることで心は凪になる

「見えないもの」のなかに自分を応援してくれるものがいつも「ある」ということを感じることはできて。

けれど、「ない」ものを得ようとする欲は切りがなく、「ある」ものを失うことの怖れは尽きず、どんな環境にいても、人はどうせ一喜一憂するのです。

ならば、タロットという先人の智慧が詰まった道具をサポートに「見えないもの」の流れに沿って、自らの知性を働かせ、納得とともに自分が活きる道を開いていきませんか?

ここでは「動く」という表現を多用していますが、「休む、留まる、待つ、何もしない」という心と体の反応を起こすことは、人が成せる立派な動作であり「動き」です。

そしてどんな「動き」も、自ら意識的に言葉を発し意図的に体を動かすことで成せること。

それが、人に備わった「知性」であり「智慧」だと、私は思います。

そして、その「知性」や「智慧」があれば

どれだけ過去のことを恨み辛み嫉みの言葉で綴ってきていても、この先、同じ言葉をつづり続けることもできるし、つづる言葉を変えることもできて、その選択は自分で考え選ぶことができます。

変わらず感情の波は押し寄せ一喜一憂を繰り返すばかりだけれど
どんな喜怒哀楽があっても
恨みも辛みも喜びも感謝も労いも
抗うことなく隠さずに言葉を流し続けることで感情の波は穏やかになり

自分で自分を貶めることだけはしないよう
ほんとうに欲しいものを「欲しい!」と欲することはできて
だったら、今をどう過ごすのかを考え動くこともできます。

そして
どんなに「当たる」といわれる占い師や命術から未来予想をされ「いい未来がくる」といわれようと、出会いも交わりも離別や喪失さえも、結局は、その人が、そのとき、その出来事に対してどう動くのかにかかっていて、かみひとえ。

どれほど「いい出会い」があったとしても、そんな「出会い」に慣れていなければ「それ」だと気づかないままスルーをしたり、今までやってこなかったことを「そのとき」にすぐにできることはないから、どんなにチャンスがやってきてもビビッて逃げてしまうことだってあるでしょう。

それほど、長年にわたって自らに染みついた情動パターンとは頑固なものです。

そして≪占いを活かす≫ということは、どんな過去や未来予想があったとして、「変わりたい!」「今よりもっとよくなりたい!」などと湧いてくる想いに沿って、「そのとき」に現実が「そう」なるよう、今にどう動けばいいかなどのアイデアを得るために使う、ということ。

そもそも≪現実≫とは、「見えないもの」と「自らの動く心と体」の共同作業によって「そう」なるだけのことだからです。

もちろん、「見えないもの」に人が気づいたり感じることはできても、それを人がどうにかしようとすることはできません。

だったらせめて、自分がもつ心と体ぐらいは自分の意志で動かしていこう。

タロットの結果に一喜一憂するのではなく
タロットを通して自分自身と向き合うことや
タロットを思考整理のためのアイデアツールにすること
今をやり切るために「何をして何をしないのか」の判断材料としたり
タロットと会話しながら自分の感情を整理することで
自分らしい「よき未来」を現実に成していこう。

そう、お伝えしています。

「自らの動く心と体」と「見えないもの」との共同作業によって起こる出来事は、なにも特別なことではなく日々の繰り返しの毎日であり、全く日常の中にあるもの。

その日常の中で自分の「命」は「運」ばれているものですから、日々のすべてが「運命」の出来事です。

そして、どんな出来事があっても、抗うことなく呑まれることなく、どんなに迷い悩んでいても自分で決断できるよう、自分の納得とともに動くための道しるべとして、先人の智慧が詰まった「タロット」という道具が活かせるということ。

タロットという道具が日常を生きる≪道しるべ≫として活きることを願い、たくさんの人に広く使われてほしい、との祈りを込めて「占いを活かそう」と掲げています。

このサイトが、タロットを活かされようと見てくださる方のお手伝いとなりましたら、嬉しいです。

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