この頃、仕事で「霊能」と呼ばれるものを生まれつきに持たれている方からのご相談が多くなっていて、私自身は全く持ち合わせていない能力なので、とても不思議なご縁を感じてます。
占いを生業にするようになったのとちょうど同じころから、日本各地を先達の案内のもとに巡礼の旅に出ているからかもしれませんが、よくよく考えると、私のタロットの先生も生まれつきに「霊能」と呼ばれるものを持っていらっしゃるのでした……
生まれつきの「霊能」を持たれていることで、いろいろな苦労話を先達や先生からお聞きすることがよくあるのですが、今日は、そんな先生方から学ばせてもらったことをシェアしたいと思います。
こういうところで悩まれている方にとって、少しでもご参考になれば嬉しいです。
見えないもの、とのお付き合い
これまでに先達とともに巡る旅は、近畿圏以外にも吉備、沖縄、あるいは、四国八十八所のお遍路に西国三十三所観音巡礼……
その各地で有名無名に関わらず、さまざまな神社仏閣を訪ねることができているのは、案内してくれる先達のおかげなのですが、SNSをみていると、ときどき「神様に呼ばれたので行ってきました!」とか「呼ばれないと行けない神社に行ってきました!」などという投稿をみかけます。
その中には、訪れたことがある聖地も多々あって、正直、なぜ「呼ばれた」などというのかがよく分からないのですが……
神社仏閣などは行きたいから行くのであって、今どき、Googleマップが案内してくれるわけで……天候が悪けりゃ、日を改めて行けば済むのですし……
なにより、般若心経でも光明真言の添句でも龍神祝詞でも大祓詞でもいいのですが、それらを読めば一目瞭然で、真にご神仏なら特定の誰かを呼ぶわけがない。
「呼ぶ」ことがあるとすれば……「あれ」ぐらいでしょう?
ほんとうにちょっとした言葉の使い方なのだけれど、そういう投稿に無意識の承認欲求と雑霊が渦巻いているように感じて、タロットの先生にいよいよ尋ねてみたことがあります。
「人を惑わす雑霊や騒々霊とか人の邪念などの魑魅魍魎との区別はどうやってつけているんですか?」と
承認欲求と魑魅魍魎
いわゆる「聖地」と呼ばれるような場所は、人が出向いて気持ちいところと気持ち悪いところがあって
「聖地」を「成仏するために魂が昇華するところ」だとしたら、同時に、成仏しそこなった魂である未成仏霊や魑魅魍魎がうじゃうじゃいるものだと、先達が教えてくれたことがあります。
一般的に「見えないもの」や「聞こえないもの」が見えたり聞こえると「すごい!」などと羨望の眼差しを向けられたりするそうですが
そもそも「見えないもの」に「いい」とか「わるい」といった人の判断概念は通用しませんし、あらゆるものが「見え」「聞こえる」ため……
魑魅魍魎も境なく未成仏なら死に際の苦痛に歪んだものもいて、先達によれば「そんなに、ええもんでもない」らしいです。
持たざる者にとっては憧れでも、持つ者にとってはなかなかに苦痛なもので、だから扱い方を学ぶために相当の修行をされるのだそう。
あるいはタロットの先生に言わせれば、霊能は、芸能や知能と同じで、たんなるその人が持ち合わせる個性だからその能力は扱いう人しだいで
「霊能は人格とは関係ないけど、人格が霊能を使うからね……」と話してくれました。
どんなに人が羨むような能力があっても、それを持っている人が成熟しておらず、感情を扱えず自我をいなせないならば、その能力が宝の持ち腐れになることは、「霊能」であっても例外ではないようです。
ところで、「呼ばれた」という人達が差す「聖地」や「パワースポット」と言われる場所ですが……
いわゆる「聖地」とよばれる場所は強力な磁場であることも多く、あまりにも歪みを生むような磁場が発生する場所は、「神域」として人が入れないよう禁足域となっているようです。
なぜわかるのかといえば、そういう場所に生えている木々はだいたいが異様にねじ曲がっていたりするので、人の目にも明らかです。
また磁場の力が強いので人が無闇に入って長居をすると、人の微弱な電気の流れをも狂わすため、いわゆる「気が狂う」というやつですが、人の営む場所としては不向きなのだとか。
だいたいに磁力が動くような場所ですから、そういうところにいけば、霊能がなくても変成意識に入りやすいのは確かだと思います。
そして神社仏閣はそういう自然の中にあることも多く、自然に加え、そこに集う生きている人や未成仏の魂の念も渦巻いているわけです。
だから、いつもは感じないものが感じられることはよくあって、考えれば当然のこととはいえ……
けれども「霊能」だけが独り歩きしてしまって、そういうものを欲する人にとっては「神様に呼ばれる」という言葉を使うことにある種のステイタスを感じるのかもしれません。
誰にでも起こりうる「Aha」体験
ちなみに先生に尋ねた魑魅魍魎の類の分別については……
言葉で尽くしきれないものだし言葉で説明するにはとても難しことだとは承知していたとはいえ、とても真摯にお返事くださったことを覚えています。
言葉を選びながら、言葉にならない言葉を一生懸命に紡いでくださいました。
そして先生のお話を伺いながら、よくよく考えてみると……
そいういう、なんかよく分からないけど上から降ってくるような、「あ!」みたいな、いわゆる「Aha!」体験って、皆様もあるのではないでしょうか?
私はタロットを読んでいるときや、懇意にさせていただいているお寺のご本尊の前に坐って手を合わせたり、氏神様のご神体に話しかけていると、得も言われぬ感覚が入ってきたり、おもわず込みあげてくるような……
そういう、体に流れる電気がグワっと湧き上がるような感覚はよくあります。
タロットを読んでいるときは、だいたい早口にしゃべっていることは多いです。
霊能とスピリチュアルの勘違い
先達はよく「仏性も神性も人なら誰にでも備わっているもので、特に仏像は、人の中にある仏性を思い出すためにあるお姿だし、人の命も『龍』なんだよ」と話していて
「『みえる』とか『きこえる』などの霊能と、霊性やスピリチュアリティは別なものだよ」とタロットの先生は教えてくれますが
霊性やスピリチュアリティとは、誰かや何かに求めるものではなく、ましてや人からもらうとかもっての外だし、人に教えてもらうものでもなし
上からふってくるような「Aha体験」のような、そういう自分の体の小さな感覚の変化を拾えるかどうかなだけで、自分の中にあるものに気づけるかどうかにかかっているのだと思います。
だから「神様に呼ばれる」などと、無意識に自分が特別なように装う言葉や演出に気持ち悪く思うのでしょう。
だって呼ばれようが呼ばれなかろうが、一切衆生に門戸は開かれているところなら、行けば会えるし、聞いてほしいことや話したいことがあれば話をすればいいのだし
そこに「いく」か「いかない」かだけのことで装う必要もなく
霊性は誰もが持ち合わせているもので、そこに特別なことは一切なく
だから神社やお寺にいって、神仏に向かって嘘なく話をすれば分け隔てなくその霊性に応えてくれるものです。
これは、手を合わせる日常を過ごすなかで、たとえ霊能がない私でも、よくよく実感できていることです。
ただ、この「噓なく」が難しいのも事実で……人の目、一般常識、名前の知れた誰かが放った言葉、こびりついた情動のクセ……こんなものが足かせになって言葉を濁らせ誤魔化し取り繕うから、ややこしくしてしまうのです。
けれども、神仏とのお付き合いに難しいことは一切なく
話を聞いてほしくて会いに行き思いのたけを素直に吐露する
分からないから智慧を貸してもらいたくて尋ねてみる
人との関係性を真摯に育てることと同じで、とてもシンプルです。
もちろん、「こんなことをすると神様を怒らせる」とか「これをしないと取り合ってくれない」とか「願いを言ってはいけない」とかあるのも知っていますが
どんだけ人の尺度なんだよ……みたいなことも多くて、それがもはや魑魅魍魎だよなぁ、となるのは……
巡礼の旅のなかで、なんど神仏を前に「理不尽だ!」と泣きわめき暴言を吐いたか分かりませんが、怒られる? 罰せられる?? 取り合ってくれない?? ことなどなく
むしろ生暖かく見護ってくださったことは確かで、おかげさまで今が、ほんとうに安寧に暮らせているからでしょう。
霊能に関してご相談がある度に、口を酸っぱくしてお伝えしていること
さて……「肉体を持たないもの」の方が、肉体を持つ生きている人より「影響力が大きい」のは当たり前のことで
気づかなければ「ない」のと同じなのだけれど、「霊能」があるがために「そこにいる」と気づいてしまうことは多く、承認欲求が過度に刺激されれば、乗っ取られ「柱」にされてしまうこともあるでしょう。
もちろん誰もが持ちうるのが「承認欲求」だから、それが「いい」とか「わるい」とかにはないのだけれど
ただ「霊能」が絡むと魑魅魍魎も一緒にくっついてくるので、そこで大変な思いをされている人もいますし、方や、承認欲求と魑魅魍魎との相容れによって他者の囲い込みをする人がいることも知っています。
なので……
特に「霊能」を持たれていて占いを志す方のご相談をお受けするときは、「占うときは霊能をできるだけ封じて、占術にならおう」とお伝えしていて
タロットならば、エレメントや数字、象徴図形の基礎を学び、理解に努め、「タロットをそのままに読む」ことができるようになること
これが、霊能を活かす大前提だと考えます。
たしかに、その識を持たないままに「霊能」頼みでも占えるものですし、むしろ「霊能」を使う方が「あたる」そうですが……
その度に雑霊からエネルギーを吸われるようなものですから、肉体的な疲弊は計り知れません。
それに、占いはあくまで「占術」ありきなものですから、占術から外れ、無意識の承認欲求から雑霊に呑まれてしまっては本末転倒。
もちろん、やっぱり「霊能」も他の能力と一緒で、素晴らしい個性だと思うのです! だから、活かせるなら活かしてほしい……
そのため霊能に関してご相談があれば、口を酸っぱくして「技を磨こう」とお伝えしています。
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